日頃人民大学のNさんのブログをみる。Nさんはしんせいどけいざい学派の新鋭である。昨日、彼のブログで韓寒の最新ブログ「中国映画にかんする10山の砲火のえじき」を転載しています。韓寒氏の文字もわたしがすきなものである。
こんかいのブログでふたつのおもしろい点がある。
1.建設的な意見はだれの責任かについて
この問題はわたしも常に考えている。公に対する批判意見は普段大衆にとっていつも聞き楽しいけれど、興奮な批判のあといつも何の効果もない。そして、わたしは一度建設がない純批判の意見を見くびった。先月の調査中、世論を研究しているL先生とこの問題について話した。L先生の考え方は庶民が行政資源を持たなく、どうして彼らに建設的な意見をあげる責任を背負わせるか。韓寒氏は似ている意見を言い表した。
ひとりひとりの意見は当然に自分の立場から必ず考えて傾きである。ただ、いろいろな一面的な見方が総合されて、全面的になれている。大衆が監視の権利さえ十分に機能させればもうよいのだ。
2.民間協会の機能
韓寒氏の目に、民間協会が業種発展にたいする阻みは政府側と半政府側の協会よりつよい。なぜならば、民間協会は政府主催する協会より政府側にゴマするとわかった。わたしはかつて清末商人の組織を研究した。予想を超えて組織の支配人は政府の代理人を目指して、民間協会は政府からのびる末端になることを待望していた。とうして予想を超えると言えるか。東洋史に民間組織にたいする関心はヨーロッパの市民社会に源を発した。とくにアメリカのWilliam T. Rowe氏がユルゲン・ハーバーマス氏の理論をつかって漢口を研究した著書はこの分野の研究を励ました。Rowe氏は中国の民間組織がNGOに似る組織として見て、商人の意見を広げる政府にたいする対抗している組織と考えているそうだ。けれども、この考え方は西洋化しすぎると思っている。わたしはかつて清代杭州消防の実態を観察して、民間組織と政府の関係は合作の性質が対抗よりはっきりである。消防は公共事業のですこし特殊かもしれない。ところが、徽州府の商人組織は商人自身の利益を主張していた組織だろう。けれど、交渉の過程中組織のエリートたちは商人の利益をコストにして基層政府に割り込んでいった。なぜならば、基層政府に入れば組織にもっと利益を得られて、商人にからしてこのコストは値した。
民間自身の利益のため、民間組織は発足した。これもそんな多いRowe氏の追随者は多いユルゲン・ハーバーマス式な証拠が発見できる原因だと思っている。ただ、その原始動機はハーバーマス氏とRowe氏がよく知った西洋社会の実態ににってるかもしれないけど、中国人がその目標のための行動方は違うとわかった。そして、全然違う発展方向も引き起こされた。自身の利益のため、メンバーのサポートのうえエリートたちが基層政府に割り込み、そのあと、逆に代理責任からの依頼人はこっそり変わってきた。これは中国民間組織の運命である。『水滸伝』中、宋江はNGOのリーダーとして「招安」を行動することは論争きれない争点である。
一つの喩えは浮かんできた。泥酔した人横断に傾く坂で歩き、家の方向へ歩いても、道ばたの溝に転び落ちるを避けない。民間組織の場合に横断に傾く坂は何だか?
